グッチを身につける女性は世界じゅうのどのブティックを訪れても、いつも慣れ親しんだ同じ雰囲気を得ることができなければならない。
子供にとっていわゆる「夢の世界」が、感覚的に歩きまわることができなければならないように、魔性の女に憧れる裕福な若い女性にとって、グッチの世界は目をつぶっても移動でき、方向感覚を失わずに買い物ができる。
そう、まるで自分の家のなかのように歩きまわれる場所でなければならない。
グッチのブティックはトータル・コンセプトであり、それだけで完結しているライフスタイルなのだ。
今日もB氏は元気いっぱいだ。
緊張しているが、調子はいい。
おそらく、テキサスの小説家たちが言うように、血の香りがするからだろう。
グッチ作戦は彼に、すべてを支配したころの狂気の時代を思い出させる。
それはライバル社に対する完全な勝利の攻撃だった。
アドレナリンの上昇、戦略を練る長い時間、何物にもかえがたい狩猟の味わい。
グッチをめぐる戦いも、A氏はすべてが気に入っていた。
軽騎兵風の攻撃。
待ちかまえる敵。
メディアは彼のことしか書かない。
もし相手が服従すれば、彼はおおらかなところを見せるつもりだ。
しかし、もし後先考えずに抵抗するなら、血も涙もなく残酷になるだろう。
彼は高級品の世界のチンギス・ハーンなのだ。
今のところ、彼はグッチの株主を回って、外堀を固めている。
彼らの持株を買い取っているのだ。
フラダから少し、そしてテンプルトンやパットナムのようなアングロ・サクソン系の企業からも少し、さらに次々と、すでに事が相当進んでいるので、ひれ伏して頼まなくても、誰も売ることに抵抗しなくなる。
一九九九年一月二十五日、A氏はすでにグッチの資本の三〇パーセントを取得していた。
このレベルで、彼はすでにこのグループに対してある程度の権利をもっていると思っていた。
それを言明してもいた。
最初は穏やかであった。
グッチ側は、危機感を感じていることをまだ素振りにも見せていなかった。
しかし、公式発表が出るごとに、緊張感が高まっていることは傍目にも明らかだった。
両者は仲介入を探す必要に迫られる。
幸い、彼らは比較的すぐに適任者を見つける。
W氏というアメリカの法律事務所の弁護士で、かつてグッチとLVMHのために仕事をしたことがある男だ。
今回彼は、状況が明らかな戦闘状態にならないかぎり、グッチのために仲介入の役を担うことになる。
LVMHの会長A氏は自信満々だ。
三〇パーセントの株を手にしていれば、はったりも利くし、少々無理も通せる。
彼の投資顧問〈G社〉の人たちも、資本の三五パーセントを所有すれば、グッチの実権を握ることができると説明していた。
信じたくてたまらないことを言われて、信じない者がいるだろうか。
それではD氏はどうだろうかと考えてみた。
彼は自分の独立性を主張するだろう。
今までずっと言い続けてきたことだ。
二年前の一九九七年、彼はこの件について、どちらかというと急進的な基本路線を表明した。
グッチの株主は、たとえどれほどの株を所有していようと、議決権の二〇パーセント以上はもつことができない。
その結果、もしある投資家がグッチの主導権を握ろうとするなら、その投資家は資本全体の公開買付けをしなくてはならない。
そのうえプレミアムを支払う。
この原則をD氏は今まで何度も公の場で言ってきた。
イタリアの会社。
P社が突然グッチの資本金の一〇パーセントをLVMHに譲ったときにもまったく同じことを言った。
D氏の定めた条件はとても厳しいものだが、明確だという利点がある。
先を急ぎすぎる投資家たちは叩かれるということがわかっている。
そして、少数派の株主たちは自分たちが保護されることを。
B氏の意図はあまり明確でない。
グッチで実権を握ろうとしているのか、それともただ大株主になって、あのイタリア・ブランドの驚異的な飛躍の恩恵にあずかろうとしているだけなのか。
現在、公式的には二番目の説が有力だ。
それは信じるに足りる話ではある。
だが、O氏の小説以外でも、傷ついた心を癒すために物語が書きなおされることはある。
そして当時、一九九九年一月が終わるころは、まだ誰も物語の筋書きを考えておらず、あらゆるエゴが大きな塊となって姿を現わしはじめていた。
LVMHが資本金の三四・四パーセントを取得したところだった。
この株の買い占めを強い関心をもって見ている男がいた。
T氏だ。
彼の契約には、細かい条項が付記されていて、それによると、ある株主が資本金の三五パーセントを超えて所持することになった場合、T氏は辞職して、オプション権を行使することができることになっている。
彼は、行使価格四五ドルのストック・オプションを二〇〇万株もっている。
この日、市場価格でグッチ株には八五ドルの値がついていた。
しかし、A氏が突然買い占めをやめた。
T氏は八〇〇〇万ドルを手にするチャンスを失った。
今やA氏は権力を要求することができると思っていた。
少なくともグッチの監査会(理事会)役員の椅子を一つ手にすることぐらいは。
LVMHは監査会に誰を送りこもうとしているのか。
三人の候補者の名前が、パリからアムステルダム、ニューヨークからフィレンツェへと飛びかった。
そこは重苦しい雰囲気につつまれていた。
役員の一人がD氏に、「グッチの会議には私の目と耳が必要だ」というA氏の言葉を伝えたからだ。
いったいどのあたりから、恋の戯れが危険な状態になるのか。
これまでD氏は、LVMHが高い金額で言い寄ってくることの利点しか見ていなかった。
しかし、A氏の催促は彼の神経に障った。
手を結ぶ。
それならいい。
しかし、ほかの多くの会社に続いて、あのフランス人の獲物箱に放りこまれるのだけはごめんだ。
D氏はここまで自分の腕一本でこの企業を数十億ドル稼ぐ会社に作りあげ、同業者の称賛と嫉妬を買ってきた。
もはや他人から下僕のように扱われるのは我慢ならない。
そこで彼は充分良心的だと思える提案を二つ出す。
一つは、LVMHがグッチの株全体の公開買付けをおこなう。
当然それは高くつく。
しかしその場合、D氏とF氏の二人は、条件によっては残ることも考えられる。
もう一つは、LVMHに所有株をグッチ株式の三分の一以内にとどめることを約束させて、ヴィトンとグッチの皮革部門で起きている明らかな利害を巡る争いを調整するような契約書を取り交わす。
それまでは、A氏の側近が監査会役員になることは許されない。
D氏は、利潤に関する情報があのフランスのライバル社に流れることを絶対に阻止したいのだ。
LVMHはこの二つの提案のどちらも拒絶した。
A氏は高い買い物をするつもりはないし、獲物と交渉しようとも思っていなかった。
国王は未来の家臣と交渉したりしない。
服従させるだけだ。
このエリート特有の倣慢さは、D氏の神経をいらだたせた。
はらわたが煮えくり返るようだ。
しかし、それでも妥協策への試みは続けられた。
影の男たちが一月末に二人を会わせることに成功した。
A氏はこの日のことをよく覚えている。
「私は彼を食事に招待したのだ。
ところがあの男は私を呼びつけた」と気がつくとつぶやいてしまうのだ。
この最初の会見は、パルザック通りにある投資銀行のパリ支店の一室でおこなわれた。
この会見は決して友好的なものとは言えなかった。
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